かきのこせ!

三葦みあしのお兄さんは、いつからここにいるの?」
「そぉねぇ、あれはおじさんがまだお兄さんだった時の、確か█万年前の話でねぇ……」
「█年前……私、中学生やってました」
「そうかい……速いねぇ。時間の流れってもんはさ」

ややおちゃらけた、他愛もない会話をする。三葦一郎太という、人生に於いてもこの「会社ざいだん」に於いても大先輩の人と。

あれだけ入れたエントリーシートと白紙の履歴書の殆どは水の泡になった。そう落ち込んでいた時、見計った様に新卒としての内定を決めてくれた会社が此処だった。
もちろん凄く嬉しかったし頑張るけれど、なんだか少しだけおかしいと。こんな会社入れたっけ、といった違和感を微かに感じた──ような気がしなくもない。実はあまりよく覚えていない。

配属の際、彼を一目見た瞬間に目を引いたのは、今すぐにでも自由を求めて飛び跳ね散りそうな、彼の胸元のボタンだった。もう第一印象が強烈過ぎる。ボタンに目を奪われながらも、自分の先輩になるであろう男の顔を見た。片方しか残ってない目が合った。

羅宮らみやと申します」
「やあ。私は記録班隊長の三葦。これから色々と大変だと思うけど、よろしくお願いするね」

全体的に肯定的な好感触で、礼儀の正しい人だ。自分からちゃんと近づいてみたいと思える。そんな人だった。

配属先は「記録班」という部署だった。何でも、写真や絵画などで事物を記録する事が主な仕事らしい。配属後に最初任された仕事は「とにかくなにかを記録する事」で、具体的な対象は何一つ決まっていなかった。三葦隊長に「何を記録すれば宜しいですの?」と訊いても、「今はまだ教えられない」とだけ返された。「この調子で頑張れば、そのうちわかってくる」の言葉と共に。
なら初仕事は「三葦隊長の記録」にしよう。記録のプロである彼を見習えば、忘れ癖もきっとよくなるよ。いつだって私は目立たないから、今まで通り、誰にも気付かれない。

そもそもの話、突発的に肝心なことだけ忘れてしまうもので、いつまでも他人に気を遣って貰っては流石に気が引ける。生憎この、生まれつきの影の薄さは、そんな私に落胆する人を減らすのにとても役立ってくれていた。そんな私を雇おうと思ってくれる会社がいたなんて、まだまだ腐ったものではないかもしれない。何かしらできるかもしれない。
こんなもの、小学生の頃に課される自由研究のようなものだと思うと、なんだか柄にもなく楽しくなってきた。少なくともここ数日までは、そんな気分でいた。


どうやら私が持っていた肯定的な印象は、他の「同僚」からすればどこかおかしいらしい。直接誰かから聞いたことではないけど、視た感じ三葦隊長はあちこちでいつも何かしら言われていた。例えば、暑いからってご自分の個人スペースで全裸になっていた時とか。悲鳴と共に変態だと罵倒されちゃうところを──ちゃんと見ていたことを──よく覚えている。その博士っぽい人(博士だけど)が部屋から飛び出た後、三葦隊長は一人気まずそうにぽりぽり頭を掻いた。
そして、視界の隅に映してしまったんだ。私を。

「……なんで君ここにいるの?」
「あ」

自分がどんな顔をしているのかはよくわからない。彼は目を見開いて、振り返って、先程までの困惑が抜けきれていない表情を浮かべて私を見ている。

「用件……忘れちゃいました」
「忘れちゃいました、って……困った嬢ちゃんだねえ。もしかして、ずっといたのかい?さっきから」

軽く首肯いた。部屋の扉を叩いた時も、勝手に開けて入った時も、「あなた」はぼうっとしていて何も見ていなかったし、何も聞いていなかったよ。だなんて、とても言えそうになかった。そしてずっと部屋の中であなたの記録をしていた、だなんてもっと言えない。こんな感じで気づかれると思っていなかったもので。
あと、何の用事だったのか本当に忘れてしまっていた。

何を言おうかまご着いていると、彼の素肌に無数に見られる痛々しい傷が目に入ってきた。

「……傷だらけ」
「ん?……あー大丈夫、気にされるようなもんじゃないから。それよかどうだい?おじさん結構鍛えてるだろう」
「……不真面目なふりして生真面目ですのね」
「言葉が刺さるねぇ……イマドキの若い子はみんなそんな感じかい?」
「多分、違うと思いますわ。……それから、えっと。そうですね、美しい筋肉だと思います」
「真面目だねぇ……」

真面目……違いない。だってこうして話している時も、ずっと記録をしている。明日には、今日の夕方には、この部屋を出た後に、忘れてしまうかも知れないから。先輩として私の日常に入りつつある人を、これ以上忘れないためにも。

彼が好きそうな運動と筋肉、もし合っていれば、きっとそれは共通の「好き」になれると思って話を振ってみる。

「暑くても運動はするのでしょう?」
「そりゃあ勿論欠かせないね」
「私も好きなんです、セルフトレーニング」
「お、本当かい!それなら話が合いそうだ!やってて損はしないからね」
「ええ。楽しいし、筋肉は裏切らない」
「その通り!こりゃ気が合いそうだぜ、ハハハ!」
「嬉しいです」
私よりも彼は嬉しそうに笑った。


暫くして、記録班の本当の意味を知る。この世ならざる異常な存在の姿を正確に写して、描き、伝える事。存在の時間を撮り留める。一瞬で構わない。
且つそれは非常に危険の伴う仕事でもある。当然だ。恐ろしい化け物やオブジェクトの姿を撮りにいくのだから無傷で済む事の方が珍しい。それでも私は異常な存在を描き続けている。

そんな中でも、三葦隊長──三葦のお兄さんを記録し続けている。理由は最初と変わらない。

三葦のお兄さんは一言で言うと、プロ。
此処にいるために生まれた様な人だった。どんな脅威的なモノでも、綺麗にフレームの中へ収めては帰ってくる。傷だらけの身体がまた傷だらけになって戻ってくる。

「おじさんもまだまだイケるさねぇ、中々のもんだろ?」

一息ついて、カメラを見せ付けつつニッと笑いかけてくる三葦のお兄さんは、仕事の後に必ず私を見つけてくれる。
最初の日から三葦のお兄さんは変わらない。少なくとも私の記憶や記録と比べると、全く同じなんだ。逆にどうしてそう同じ様に生きていられるかが私には分からなかった。
三葦のお兄さんに出会ってからの数ヶ月間、私なんて変わってなさそうで、きっと様々な事が変わっていったんだろう。そんなことを思っていると、現場に慣れている私がこちらを見返してくる。

彼の笑顔と言葉に、何も返すことができなかった。それを知る筈もなく、彼は話し続けた。

「俺たちの武器はこの脚と、マイカメラだからなぁ」
「了解、異常性を記録している三葦のお兄さんを記録します」
「おじさんじゃなくてSCiPあっちを撮りなさーい」

記録けるだろうか、私に。
彼みたいに、いつか。

改稿案

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